こんにちは。
ねこのてぶろぐです。
私たち人間をはじめとする生き物は「食べる」ことをしなくては生命活動を維持できません。ゆえに、他の生き物から命をいただき「食べる」わけです。
ある日、水族館に行ったときに、水槽で泳いでいるイワシっぽい小魚を見て
「かわいいね~」
などの見た目や生態に関する感想を言う人と
「美味しそう」
という見た目から連想される味の感想を言う人に分かれることに気づきました。
これはすさまじい違いです。
まさに、同じものを目前にしながら、
「四角だ」「いや、三角だ」
と言い合うくらいの違いなわけです。
だって「かわいい」と「美味しそう」ですよ?
同じ魚を前にこれほどまでに感想が異なってくるのはなぜだろう?
私は考えました。
そして、ある仮説にぶち当たったのです。
その仮説とは・・・
「かわいい」と「美味しそう」の境目が
人それぞれにとって違う
ということに!!!
(大丈夫ですか皆さん、着いてきてください。)
「かわいい」と「美味しそう」の境目。は?なにそれ?
ってなりますよね。
そこで親切な私は具体例を挙げてみたいと思います。
例えば「羊」。
レジャー牧場などでは愛嬌を振りまき「メェェェーーーーー」と狂ったように鳴きまくるあの「羊」さん。
眼球が横楕円形なのがちょっと気持ちも悪いけれど、
そのモコモコの毛がキモ可愛らしさをカバーしてキモ<可愛さの状態に保ってくれているあの「羊」さんです。
ほら。かわいい。
この愛くるしい可愛さの羊さんですが、次の写真をご覧ください。
やだ。美味しそう。
一気に「かわいい」から「美味しそう」に変容を遂げているではありませんか!
では、ここで冒頭の疑問です!
「かわいい」→「美味しそう」
の境目はどの辺なのだろうか?ということ!
人によって境目へ抱く感情は異なると思います。非常にデリケートなお話です。
が、しかし、
次の写真はいかがですか?
「かわい・・・くは、ないな。」
「美味しそう・・・というのもまだ早い気がするし。」
そう!!
つまり、ココが「かわいい」と「美味しそう」の境目なのであります。
冒頭で、水族館で泳いでいる魚の話をしましたが、「かわいい」と「美味しそう」の境目は人それぞれですから、例えば次の写真も見る人によって境目が大きくずれる可能性があります。
活け造りでお口がパクパクしてる状態だと思うと、もはや「かわいい」の選択肢はなくなって「可哀そう」と「美味しそう」の狭間で乙女の心は揺れ動くであろうと容易に想像がつきます。
ということは、われわれ人間は
「かわいい」⇒「可哀そう」⇒「美味しそう」
という、どうにもこうにも感情の繋がりが異常としか思えないような推移で生物をいただいているんだな、ということを肝に銘じて日々の食を大事にしていきたいと思う今日この頃。
とにかく今日は気温が36℃もあって暑いので私の思考回路も異常になっておりますゆえ、許してください。